ゲームを盆栽として扱う老人になったワタシの話

毎月のお小遣いで、「今月は何のゲームを買おう!」と、胸を躍らせていたコドモ時代。
今みたいにゲームのプレイ動画などはネットにない世の中だったので、ちゃんと下調べをしないと「クソゲー」を掴ませられることもママある。1つのゲームソフトが5000円前後。クソを踏んだ時には、そりゃあ、顔を枕に埋めて、うつ伏せに足をバタつかせて発狂。
なので、ゲームのテレビ番組のチェック、ゲームの情報誌やコロコロコミックのチェックは欠かせない。
そうして購入したゲームソフトが「神」ならば、もうヨダレが零れるのも気付かないほどに熱中。
そして大人になってみて、好きなゲームは自分の稼ぎようで幾らでも買おうと思えば買えるし、ネットで気軽に情報も得られれば、ネットショップでポチーッで、自宅に簡単お届け。いつでもプレイできるように大切に衣装ケースにコレクションしていく。
非常に便利な世の中にはなったし、色んなゲームに触れられるし、セール品を眺めて、「ココからココまでぜーんぶ買いましょう」なんていう爆買いも楽しい。コレクション鑑賞だってできる。
「私はその気になれば色んなゲームを遊ぶ権利を持っているんだ!」と権利書を振り回すような気分。
しかし、ゲームをプレイする時間もない。ゲームをプレイする前にやらなきゃいけないことがある。
そんな大人になってしまって、サザエさんの波平さんが盆栽弄って満足気に「ウンウン」とうなずく気持ち、今の私なら理解できてしまう。そんな悲しさを感じました。