最近、学ぶことについて考えていて、大事だと思うことがあります。
それは、
知識を得たら、その知識を持って知見を取りに行かなければ意味がない。
そしてもうひとつ。
知見を得たことで見えてきた「自分に足りないもの」を、
ちゃんと「足りない」と認める力も必要なんじゃないか。
ということです。
知識を得るだけでは、まだ途中
- 本を読む。
- 授業を受ける。
- 人から教えてもらう。
- インターネットで調べる。
こうして私たちは、いろいろな方法で知識を得ています。
もちろん、知識を得ることは大切です。
でも、知識を得た時点で「学んだ」と考えてしまうと、少しもったいない気がします。
例えば、ゲームの作り方を勉強したとしても、
実際にゲームを一本作ってみると、
知識だけでは分からなかったことが大量に出てきます。
- 「この方法ではうまくいかない」
- 「作ることはできても、遊びやすくするのは難しい」
- 「技術だけではなく、デザインの知識も必要だった」
- 「自分が面白いと思うものと、他人が面白いと思うものは違う」
実際にやってみたことで初めて得られるものがあります。
これが「知見」なのだと思います。
知見を得ると、自分の足りなさが見えてくる
そして知見が増えてくると、
不思議なことに「分かったこと」だけではなく、
「分からないこと」も増えてきます。
むしろ、こちらのほうが大事なのかもしれません。
実際にやったからこそ、
- 「自分はここが弱い」
- 「この分野について全然知らない」
- 「自分より、この人に任せたほうがいい」
- 「そもそも自分の考え方が間違っていた」
ということが見えてきます。
つまり知見を得ることは、自分の能力を証明するだけではなく、
自分の足りなさを発見することでもあるわけです。
「自分は足りない」と認める力
ここでもうひとつ必要になるのが、
自分は足りない人間である、と認める力
なのではないかと思います。
ただし、これは、
- 「自分はダメな人間だ」
- 「自分には才能がない」
と自己否定することではありません。
人間なのだから、知らないこともあれば、できないこともあります。
経験が足りないこともあります。
誰かのほうが優れていることもあります。
自分の考えが間違っていることだってあります。
それを無理に隠したり、分かったふりをしたり、
自分を正当化したりする必要はありません。
「あ、自分はここが足りていないな」
と認めればいい。そうすれば、
- 「もっと勉強しよう」
- 「もう少し経験してみよう」
- 「詳しい人に聞いてみよう」
- 「一度、自分の考えを改めてみよう」
と、次の行動につなげることができます。
足りなさを認めることは、自分を下げることではありません。
次に何をすればいいのかを知ることです。
学べば学ぶほど、分からないことが増えていく
昔より知識が増えたはずなのに、
昔より「分からない」と思うことが増えた。
そんな経験がある人もいると思います。
でも、それは知識が減ったわけではありません。
知識や経験が増えたことで、
自分から見える世界が広くなったのだと思います。
何も知らなければ、何が分からないのか、それすら分かりません。
少し知ると、その先にもっと大きな世界があることに気づきます。
さらに経験すると、その世界が思っていた以上に複雑だったことに気づきます。
だから、
「自分にはまだ足りないものがある」
と思えること自体が、ひとつの成長なのかもしれません。
学びは、ずっと循環していく
そう考えると、学びは、
知らない → 知る
だけでは終わりません。
- 知識を得る。
- その知識を使って、知見を取りに行く。
- 知見から、自分に足りないものを見つける。
- その足りなさを認める。
- そして、また学ぶ。
この繰り返しなのだと思います。
自分の足りないところが見つかったら、落ち込む必要はなく、
むしろ、「次に学ぶものが見つかった」
ということなのかもしれません。
何でも知っている人になることも、
何でもできる人になることも、おそらくできません。
だったら、完成した人間を目指すより、
自分に足りないものを見つけ、それを認め、また学びに行ける人間でありたい。
最近は、そんなことを考えています。
