最近、「○○ファースト」という言葉について少し考えることがあります。
- 思想ファースト、信条ファースト。
- 男性ファースト、女性ファースト。
- 上司ファースト、部下ファースト。
- 先生ファースト、生徒ファースト。
もちろん、実際の社会では立場によって配慮が必要な場面があります。
力関係に差がある場合や、声を上げにくい立場の人を守るために、
意識的に配慮することも必要だと思います。
どちらかを優先しないと、関係は成立しないのか
ただ、それと「常にどちらかを優先する」という考え方は、少し違うのではないでしょうか。
なぜ私たちは、何かを考えたり行動したりするときに、
「どちらをファーストにするか」を決めたがるのでしょう。
- 先生か、生徒か。
- 上司か、部下か。
- 男性か、女性か。
どちらかを優先しなければ、関係は成立しないのでしょうか。
役割は違っても、人としての価値に上下はない
私はそうは思いません。
役割や責任には違いがあっても、人としての価値に上下があるわけではありません。
先生には先生としての責任があり、生徒には生徒としての立場があります。
上司には組織を動かす責任があり、部下には現場で果たす役割があります。
それぞれ役割は違います。
しかし、それは「どちらの意見が常に優先されるべきか」という話とは別です。
むしろ大切なのは、どちらかをファーストにすることではなく、
お互いを一人の人間として尊重することではないでしょうか。
- 「先生だから偉い」でもなく、「生徒だから絶対に守られる側」でもない。
- 「上司だから正しい」でもなく、「部下だから常に配慮されるべき」でもない。
必要なのは、立場によって相手を見ることではなく、
まず相手を一人の人間として見ることだと思います。
「平等」よりも「対等」
もちろん、社会には完全に対称ではない関係もあります。
先生には教育する責任がありますし、上司には判断する責任があります。
責任の大きさや権限が違えば、同じ扱いにはならないこともあります。
だから「平等」というより、「対等」という言葉のほうが近いのかもしれません。
役割は違う。
責任も違う。
できることも違う。
それでも、人間としては対等である。
私はそのくらいの距離感が、一番健全なのではないかと思っています。
肩書ではなく、人を見る
誰かをファーストにするのではなく、
お互いにリスペクトする。
立場ではなく、行動を見る。
肩書ではなく、人を見る。
そういう関係のほうが、結果として長く続くのではないでしょうか。
「誰を一番にするか」ではなく、
「どうすればお互いを尊重できるか」。
最近は、そんなことを考えています。
